洛外放浪譚 ⑭さが

京都盆地 小倉山の麓(山際)を沿うように歩く
のどかな竹林が五感を刺激しますよ。
女性の物語が宿るお寺が多いです。
愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)
五百羅漢とは:お釈迦様が亡くなった時、お経編纂の時に集まったのが500人、それが五百羅漢です
千二百羅漢とは:五百羅漢とその百年後に七百人の羅漢が集まり教えを正しく伝えるための勉強会を開いたそうです両方を合わせて千二百羅漢と言います。
その数に因んで念仏寺は1200体の仏様を安置しております。
また、一般の方々に仏像を作っていただいて仁王門の復旧費用に充てたとのこと。
鳥居元(愛宕神社の鳥居)
昔々愛宕山と比叡山が背比べをしました。
お互いが自分の方が高いと言い張り、口論のすえ怒った比叡山が愛宕山の頭をゲンコツで叩くとコブができ、その昆布の群だけ高くなったそうです。
愛宕神社は明智光秀が謀反を決意した場所としても有名で、愛宕権現様に必勝祈願したことで有名。
平野屋
ニッキのお餅などが有名
あゆ料理も楽しめ、美空ひばりがお忍びでこられていた。
鮎の宿つたや
愛宕神社への参拝のスタート地点として賑わった
化野念仏寺
あだしのは古来葬送の場で風葬されていたが、弘法大師空海が埋葬した
供養のために千体の石仏を埋め、五智如来の石仏を建てて五智山如来寺を建立したのに始まるとされる。
祇王寺
茅葺の屋根が綺麗
4人の女性と平清盛
白拍子、祇王(21歳)が、妹の祇女(19歳)、母の刀自(45歳)と共に尼となったのが嵯峨の奥、往生院の庵で、のちに“いつか我が身も同じ運命”と悟った仏御前(17歳)が旧怨を捨てた祇王母子に加わり、四人で念仏三昧の余生を送ったという[諸説あり]。
白拍子(しらびょうし)平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった歌舞の一種
滝口寺(往生院の塔頭)静かで心がリセットできる場所。
滝口寺
悲しい物語:
平清盛が催した宴、ここに平重盛(清盛の息子)の部下で滝口武者の斎藤時頼もこれに参加していた。このとき宴の余興として、白拍子の横笛が舞を披露した。それを見た時頼は横笛の美しさ、舞の見事さに一目惚れしてしまった。
その夜から横笛のことが忘れられない時頼は、恋しい自分の気持ちを横笛に伝えるべく、文を送ることにした。無骨ながら愛情溢れる時頼の文に心奪われ、愛を受け入れることに。しかし、時頼の父はこの身分違いの恋愛を許さなかった。傷ついた時頼は、横笛には伝えずに出家することを決意した。嵯峨の往生院に入り滝口入道と名乗り、横笛への未練を断ち切るために仏道修行に入った。これを知った横笛は、時頼を探しにあちこちの寺を尋ね歩く。ある日の夕暮れ、嵯峨の地で、時頼の念誦の声を耳にする。時頼に会いたい一心の横笛だが、時頼は「会うは修行の妨げなり」と涙しながら帰した。滝口入道は、横笛にこれからも尋ねてこられては修行の妨げとなると、女人禁制の高野山静浄院へ居を移す。それを知った横笛は、悲しみのあまり病に伏せ亡くなった。横笛の死を聞いた滝口入道は、ますます仏道修行に励み、その後高野聖となった。
二尊院
「発遣の釈迦」と「来迎の阿弥陀」に由来する二尊院 生まれた時は釈迦が見送ってくれて、亡くなった時は阿弥陀が迎えてくれるということに由来する.
参道の紅葉は見事宮家との縁が深い。門などに美しい彫刻などがある場合は天皇家との関わりがある場合が多い。
扁額は「二尊院」御奈良天皇の書、最貧の天皇、書や扁額などを書いて日銭を稼いだ。
二尊院の前に陶芸工房があります(小陶苑)体験工房などもやっておられます。
タンポポの「嵯峨野さやさや」でも歌われていますよ。
(参考:wikipedia)
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